ブログを始めたのは良いけれど、何を書けば良いのかずっと悩んでいる。

うじうじしながらiPhoneのメモを開いては閉じ、また開いては閉じ、をずっと繰り返している。ひとつずつ開けてスクロールしていくと、寝る前に1日を振り返っても心のヒリヒリが治らない日の私が、たまに埋もれている。書きかけの句読点で終わっている、あの日「書けなかった」私がそこにいる。

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私はかなりの人見知りである。意外だと言われることも多いが、人前に出ることも本当は好きではないし、人に自分がどう見られるか、というところに敏感で、気になりだすと止まらない。だから、相手にじいっと見られないために、必要以上に喋ってしまう癖がある。

簡潔な答えを求める相手に「つまりこういうこと?」と言われて初めて、一言に絞れない自分に気付く。属性を越えた「共同」や「共生」を熱望していた私の言葉は、確かに私と「同じ言葉」でありながら、ときに別のもののように感じられたからだ。

 

外国にルーツを持つ子ども・若者に関わるようになり、同じように外国人や外国にルーツを持つ子ども・若者に関わる大人と出会うことも多くなった。とてもありがたいことに、最近は子ども向けだけでなく大人向けのセミナーや講演に呼んでもらうことも増えた。

まだ学生だった頃に呼んでもらったボランティア向けセミナーで、「共生というなら外国人はもっと日本の文化を学ぶべきだ。〇〇さんは日本語の勉強も熱心で、すぐに日本人の友達ができた。教えている私もやりがいと手応えを感じた。共に暮らしていけない、というのは本人の甘えによるものだ。」という意見に本気でキレかけた事がある。

その方はベテランのボランティアさんで、これまで培われてきたノウハウから、「あなたはお若いからわからないでしょうけど、」という前置きとともに持論を展開した。

頷くことすら憚られる内容だったが、私は自分自身のこと、家族のことを交えながら「やりがいや手応えをあなたにあげるために日本語の勉強をしているんじゃない、外国人の生活が能力によって判断されることそのものが問題だと思う」と一生懸命説明した。男性は「まぁまぁ、三木さんはお母さんが外国人だからそりゃそう思いますよねー」と半笑いで話を終わらせた。

一生懸命に話しても、相手は気分に応じてその場からいなくなることができる。正直に言葉を伝えるやるせなさに、周りからの「そんなことよりも広い視野を持とう」「他と比べてみればマシじゃない?」「いろんな人がいるから仕方ないよ」という言葉が、優しく暖かい手でじんわりと私の喉元を絞める。

生意気だと思われるかもしれないが、どんな時もすべての言葉に「ありがとう」と感謝して受け入れるほど、私の心は衰弱していない。だけれど私の喉元を絞めるその手を暖めてしまったのも、また私たちなのだと分かっていた。

確かに男性の発言は相対的にみれば「ちっぽけなこと」にできるだろう。でも、あの無神経な発言そのものやその酷さは何も変わらない。それによって傷付き言葉を奪われるのは、きっとその場に居合わせたマイノリティ達だ。

私は彼/彼女たちに「運が悪かったね」なんて口が裂けても言えない。だからこそ、今この場にこだわって反論を提示する意味がある。気付けばその場でひとりだった私は、孤独感以上に自分のそばにある言葉をもう一度集めることに夢中になっていた。

私が欲しいのは「許し」や「赦し」ではなく、その手を振りほどく力だった。

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iPhoneのメモに埋もれる「書けなかった」私は、○でもない、×でもない、さんかくの言葉たちだ。正解か不正解か自分でもわからない不規則なつぶやきは、わかりやすいひと言でもなければ、凛々しさを纏った憧れの対象にもならない。

そういった言葉たちは、「もっと色んな人にわかってほしいんでしょ?」「もっと良くするために協力してくれる?」と、いとも簡単に私の手から奪われていく。間引きされた言葉は、人々を惹きつけ、そして安心させる。

自分の存在が許される場所や求められる場所に安心や愛着を覚えるのはごく自然で、私も居場所を探してきたひとりだ。そして安心できる場所の中で言葉を削がれることで、私はいつの間にか身動きが取れなくなっていた。

それらもたしかに私の中にあった言葉だけれど、私にとっての言葉や文章は、もっと地味で、不確かで、どこにでもあって、不安になるものだ。だからこそ私達はどこへでも、どこまでも行くことができる。その不安や不確かさとともに暮らしていく方法を、考え続けるしかない。

「こんなのおかしいよ!」という心の叫びは周りからの「正しさ」で包まれ、それを幾度となく飲み込んできた。一息で飲み込めずにもごもごしていると、次第に口の中に言葉の味が広がる。私たちの暮らす社会で起きている不平等なできことは、もはや「正しさ」では包み込めないほど広がり、大きく、重たくなってしまった。

言葉の味を噛み締めながら、私が必死になりたかったのは言葉を包むことじゃなかったとハッとする。社会の「正しさ」に頼らず、誠実に社会と向き合うことで言葉をひらいてきた人たちが、私の支えになっていた。誰かを支えるために書いた言葉じゃないからこそ、その言葉からかすかに感じられる無力さに惹かれていた。

私の言葉は、誰にもあげない、と決めた。

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仕事も含めて大半の作業はパソコンを使うのだが、何故か文章を書くのだけはiPhoneでないとできない。このブログに掲載している文章も、全てiPhoneで書いている。

単に便利だから、という理由もあるが、iPhoneを握る私は「ひとり」にならないと安心して言葉を書き出せない。言葉をブログにすることに抵抗があったのは、これまでひっそりと抱きしめていた言葉が、書くことでどこか遠くへ行ってしまう気がしていたからだ。

外を歩きながら、人と話しながら、本を読みながら、iPhoneのメモを開く。頭の中にある地図に、現在地を表すピンを落としていく「ひとり」の時間だ。さんかく△の言葉はくるっと下向きになって、現在地を表す▽ココになる。立てられたピンを目印に、新しい言葉や人に出会い、またiPhoneを持って歩き出す。

「あなたはいまどこにいるの?」という問いに対して、どこにだっている、というのが私の答えだ。社会の「正しさ」からはみ出る言葉は、こんなにも独創的で、それでいて普遍的で、ガヤガヤしていて、そして頼もしい。

社会そのものを変えることはできなくても、言葉に乗せて社会を信頼することは私にもできる。

私には、それしかできない。