1 歳になる前にピアスの穴を開けた。
フィリピンでは乳児のうちに耳に穴を開けることが多く、フィリピン人の母は当たり前のように私の耳に穴を開けようとした。
しかし、乳児にピアスの穴を開けてくれる病院なんて見つかるはずもなく、父のツテを頼ってこっそり病院で開けてもらったらしい。もちろん私に当時の記憶はない。
子どもの頃はまだ穴が定着しておらず閉じやすいことから、たまに小さいピアスを付けて学校へ登校していた。
小学生になったばかりの頃は、物珍しさから「へえ!すごい!」「触らせて!これ痛い?」と周りが声をかけてくれた。昔から声が大きく明るかった私は、放課後耳たぶに付けたピアスを引っ張って友達を驚かせたりもした。
しかし中学校に上がると「なんでお前だけ付けてんねん、せこいねん」と急に周りから言われる事が増えた。今まで好奇の目で見ていた友達の目は、少し変わった。
友達の態度が変わるのは悲しかったが、そう言われるのも当然だ、と思っていた。「ピアスの穴を開けるのは校則違反」なのは入学前からわかっていたからだ。自分は校則に違反しているのだから、文句を言われても仕方ないとその時は思っていた。
ただ、いつも「なんで」にちゃんと答える事ができなかった。
私自身が「なんで自分の耳に穴が開いているのか」ちゃんとわからなかった、というのもあるが、そもそも「なんでお前だけ」という問いにどういう答えを求められているのかわからなかったからだ。あの答えを待たれる時間と「答えてみろよ」という空気が怖かった。
ある日、学校で友達が先生に「あの子は開けてるのになんで私はあかんの?」と抗議する声を、聞こえないふりをしながら聞き耳を立てて聞いていた。
友達の抗議を聞きたいと思っていたわけではない。それに対する先生の反応が気になってしょうがなかった。
先生は「あの子は100% 日本人じゃないから。三木さんのお母さん知ってるでしょう?三木さんはハーフだから」と言った。
まるで、「悪い事をしているけれど、外国人だから仕方ないんだよ」と言うような、外国人である事が免罪符のように使われることに、複雑な気持ちになった。
それから少しして、フィリピンに住む従兄弟に初めて会った時の写真をたまたま見つけた。
私と同年代の従兄弟の耳には、私と同じ金色の、小さすぎてただの丸に見えるくらい小さいハートのピアスが付いている。私の父が、フィリピンで初めて家族に会えた記念に私達にプレゼントしてくれたものだ。
その写真を見ながら母に「何で私の耳にピアス( の穴) を開けようとしたの?」と聞いた。
母は笑いながら「えー?なんでってフィリピン人やん、ママの娘だもん」とだけ答えた。
「ははっ」と笑いがでてきて、全てを納得してしまった。
先生が言った言葉と大して変わりない母の言葉には、「仕方ない」というあきらめがなかった。同時にそれは、私が今まで抱いてきた「文句を言われても仕方ない」という気持ちが揺らいだ瞬間だった。
「なんで」「お前だけ」と言葉を向けられる時には「ふふ、ええやろ?」と強がりをして、本当はいつも何かひっかかれたような、少しだけ悲しい気持ちになっていた。校則違反にあたることなのは理解できても、だからってどうしようもないやん、と心の中では小さく言い返していた。
「え、そう?でも0 歳の時から開いてるよ?」と返せるようになったのはその頃からだった。「なんで」と聞かれるたびに、自分がフィリピン人としても家族に大事にされてきたのだと確認できたからだ。私が母の娘であり、ハーフであるということは、校則でも変えることができない事実である。
私は、乳児の私から何も変わっていない。耳の穴も左右にひとつずつ開いている。
周りの目線や言葉が変わっていっても、私は何も変わらないまま大人になった。
もう今は何ヶ月もピアスを付けていなくても穴が閉じない。誰も私の耳を見て「なんで穴開けてんの?」とは聞いてこない。
子どもとの活動で小学校に行くと、ごくたまに耳に穴が開いている子どもがいる。
「私も小さい時に開けたんやで~」と声をかけると、嬉しそうな顔をして「ママが開けてくれて、妹も開けてんねん!!」と教えてくれる。そういう時の子どもの顔が、私は大好きだ。
あの時言えなかった「良いやんな!」という言葉を、今は大きな声で言える。